グスタフ・マーラー (Gustav Mahler, 1860~1911) 作曲の交響曲『大地の歌』(Das Lied von der Erde)の解説と、お薦めの名盤をレビューしていきます。最後に楽譜・スコアも挙げてあります。
解説
マーラー作曲の交響曲『大地の歌』の解説をしていきます。
9番目の交響曲
交響曲『大地の歌』は、マーラーにとって9番目の交響曲です。実質的にはオーケストラ伴奏の連作歌曲ですが、「テノール、アルノまたはバリトン声部とオーケストラのための交響曲」という副題を持っています。
マーラーの時代までは、多くの作曲家が交響曲第9番を書き終えて第10番を完成できず、亡くなるということが多かったため、交響曲第9番としないで番号を付けず、歌曲のような形態で交響曲を書いたのでした。
シナの唐詩がテキスト
テキストとしては、中国の唐詩を主に掲載した詩歌集『シナの笛』から採られています。詩歌集『シナの笛』は19世紀後半にヨーロッパで流布していた漢詩の散文訳をハンス・ベトゥゲ(1876-1946)が編纂、ドイツ語の詩としたものです。
グスタフ・マーラーがこの詩歌集『シナの笛』を読んだときには、既に心臓病が深刻化していて、精神状態も良くありませんでしたが、この詩集の「避けられない死」について共感するものが多くありました。それは、毎年春になれば繰り返される『大地の歌』であり、自分の死後も永遠に続いていく。
いわゆる東洋の「輪廻(りんね)」の思想に共感したということです。「転生」という思想は知らなかったのでしょうかね?キリスト教なので仏教的な概念は基本的には必要ないのかも知れません。しかし、自然豊富なチェコにはヤナーチェクの『利口な女狐の物語』など、輪廻の思想はたまに出てきます。
なお、ベトゥケが編纂しドイツ語に翻訳した際に、オリジナルの唐詩がどれなのか分からなくなってしまっています。
『シナの笛』から、マーラー自身が7編を選びました。歌詞にするに当たり、マーラー自身が標題を変更したり、自作の句を挿入するなど、自由な改変を行いました。
すなわち、唐詩のままというよりは、ベトゥゲやマーラーの主観が大きく入り込んだ合作のようなもの、あるいは唐詩の皮を被ったマーラーのメッセージのようなものだと思います。最終的には唐詩と少し雰囲気の異なる歌詞となっているように思います。
もともと「避けられない死への恐れ」という深刻なテーマですが、唐詩を用いることで、例えばショスタコーヴィチ交響曲第14番『死者の歌』のようにならず、オブラートに包んでいます。
作曲と初演
交響曲『大地の歌』は6楽章構成として、1908年夏に南オーストリアのチロル地方のアルトシェルダーバッハで一旦完成し、1909年秋に完全に完成しました。
初演は、1911年11月20日にミュンヘンにてブルーノ・ワルター指揮ミュンヘン・コンサート協会管弦楽団の演奏で行われました。
しかし、『大地の歌』の完成に安心したマーラーは交響曲第9番を完成させ、続いて交響曲第10番に着手しますが、1911年5月18日に結局未完のまま生涯を閉じました。
曲の構成
交響曲『大地の歌』は、全6楽章から構成されています。
第1楽章:現世の寂寥を詠える酒宴の歌
テノール独唱:
李太白によるとされていますが、確認されていません。李太白のいくつかの詩からベトゥゲが編集し、さらにグスタフ・マーラーが修正したものと考えられています。
リズミカルで聴きやすい音楽ですが、歌詞も合わせて良く聴くと、死への恐怖を歌った曲とも言えます。
第2楽章:秋に消えゆく者
アルトまたはバリトン独唱
従来は銭起の作とされていましたが、現在では作者不明となっています。
第3楽章:青春について
テノール独唱
李太白によるとされています。
第4楽章:美について
アルトまたはバリトン独唱
李太白「採蓮曲」を元に、ベトゥケが改作し、マーラーがさらに修正した歌詞です。
第5楽章:春に酔える者
テノール独唱
李太白の「春の日、酔いより起きて志を言う」を元にして、ベトゥケが翻訳したものを、マーラーが修正したものです。
第6楽章:告別
アルトまたはバリトン独唱
孟浩然の「業師のやん某に宿り、丁公を待てど至らず」と王維の「送別」によるものを、マーラーが修正し、さらにマーラー自身の創作の歌詞を付け加えています。
演奏時間30分程度の長い楽章です。
この長い最後の楽章の中の最後の歌詞はマーラー自身によって加えられたものです。
愛する大地は、春になればいたる処に花を咲かせ、緑が萌え出る。
再び、至る所で、永遠に、遠くまで青く輝き渡る。
永遠に!永遠に!
お薦めの名盤レビュー
マーラーの大地の歌のおすすめの名盤をレビューしていきます。
バーンスタイン=ウィーン・フィル
ワルターよりも一世代下のレナード・バーンスタインはマーラー指揮者ですが、マーラーとは直接会ったことは無い世代です。バーンスタインの『大地の歌』には、東洋的な部分もある程度感じられます。日本のわびさび、とまでは行かないですが、アメリカも結構大雑把な国なので(失礼!)、中国に近いメンタリティがあるかも知れません。もっとも『大地の歌』は、マーラーが作曲した時点で、中国というよりもドイツ的な思想のほうが強いと思います。5音音階を使って、曲は中国風ですが、歌詞も随分変えましたし。
バーンスタインの『大地の歌』はバランスが取れていて、死に対する感情と、生に対する喜びの両方が描かれています。そのため非常に聴いていて心地よく、東洋的な考え方に近い気がします。第4楽章「美について」は物凄い速さです。この爆速テンポについていくF.ディースカウも凄いと思います。なお、このディスクはアルトではなく、バリトンを使っています。バリトンはフィッシャー・ディースカウで、彼が「告別」を歌います。
スリリングで味わい深さもあり、初めて聴く人でもとても楽しめると思います。
バーンスタインにはもう一つイスラエルフィルとの映像もあります。DVDの欄で紹介しますけれど、こちらもイスラエルフィルの強い土の香りもあって、とても東洋的な親近感を感じます。
ワルター=ウィーン・フィル
ブルーノ・ワルターはマーラーの直接の弟子の一人です。ワルターの『大地の歌』は3種類あります。その内の一つはニューヨークフィル盤で、こちらも発売されています。それらの中で特別なのが、このウィーン・フィル盤でアルトをカスリーン・フェリアーが歌っていることです。
フェリアーは声域としてはコントラルトなので、少し曇ったような歌声になっているのは、録音のせいではなく、声域が関係しているのかも知れません。感受性の強い歌手である彼女は、最初1947年に初めてワルターと共演した際に曲の終わりで涙を流してしまい、最後まで歌えなかったということです。この初めての共演の際から、ワルターはフェリアーを高く評価し、共演を続けることになります。
感受性の強い歌手が歌詞や音楽に共感し過ぎてしまって、最後まで歌えなかった、ということは、意外とよくあることです。
モーツァルトは自身の歌劇『イドメーネオ』をウィーンで上演した際、モーツァルト自身がイダマンテ訳を歌いましたが、「死の四重唱」の所で感動のあまり涙を流し、最後まで歌えなかったと伝えられています。
この『大地の歌』の主役はフェリアーで、おそらくテノールは彼女の声質に合う歌手を選んでいると思います。ワルターもフェリアーが不安げに歌う箇所では、それにあった伴奏をつけています。
フェリアーは最初に登場する第2楽章から少し曇った声色で「秋に消えゆく者」を不安げに表現しています。美しさは別格です。日本的(東洋的)なわびさびの世界というよりは、本気で聴きこむと重みと深みがあります。しかし、本物の名作というのは、そういう面があるものです。「青春について」のような、陽気さのある音楽も、それに合わせて少し控えめに表現されています。
「告別」は非常に美しさのある歌唱である反面、本質的な部分を深く表現しています。この演奏をしっかり聴けば感動することは間違いありません。
このディスクを気に入るかどうかは、フェリアーの歌唱に対する好みにかかっていますね。でも、歴史的に感動的な名盤であり、一度は聴いてみるべき録音です。
クレンペラー=フィルハーモニア管弦楽団
オットー・クレンペラーは、ブルーノ・ワルターと同様、マーラーの弟子の一人です。今聴けるクレンペラーの録音の多くは晩年のテンポが極端に遅くなった演奏ですが、『大地の歌』は割と普通のテンポなのです。また、セッション録音なのでテンポが安定していて、アンサンブルの完成度がとても高いです。録音の音質もとても良く、さわやかに聴けます。
第1曲は、速めのテンポで心地よく進みます。他の演奏よりは遅めで恰幅が広いです。歌手のブレスに合わせて、テンポの微妙な変化がついていますが、晩年のクレンペラーとしては相当丁寧なアンサンブルだと思います。
第2曲は、ゆっくりめのテンポですが、これもクレンペラーの遅いテンポではなく、一般的なテンポ設定です。しかしクレンペラーの世界観が良く現れていて、味わい深く心地良い演奏です。アルトのクリスタ・ルートヴィヒもその世界観の中に自然にはまっています。
第3曲はクレンペラーらしい遅いテンポです。「青春について」なので速いテンポのほうが良い気もしますが、老クレンペラーが青春について懐かしんでいるような風情です。
第6曲「告別」は、ゆっくりめのテンポで始まりますが、とても録音が良く、細かいパートのテクスチャまでしっかり聴き取れます。アルトが幅広く歌い上げます。
ワルター盤のように最初から不安に満ちた演奏ではなく、中国のわびさびを感じるような雰囲気の中に、運命的なものを歌い上げています。録音が良く細かい所までよく聴き取れます。味わい深いですね。
後半になってくると段々と不安げな表情が増してきます。最後の「永遠に…」のフレーズはとても感動的です。
ジュリーニ=ベルリン・フィル
ジュリーニとベルリン・フィルという組み合わせです。1984年のグラモフォンの録音で音質はとても良いです。
ジュリーニは最近再評価が進んでいますね。『展覧会の絵』もとても良い演奏でした。静かな曲を平板に演奏してしまうイメージもあるのですが、よく聴いてみると、丁寧であって平板ではないです。
『大地の歌』もバーンスタインやカルロス・クライバーが名演を残していて、そういう軽快な演奏をする指揮者が向いているイメージがあります。ジュリーニも考えてみるとイタリアの指揮者ですし、静かな曲も味わい豊かに演奏しますし、リズム感も意外とあるんだな、と再認識しました。
第1曲はリズミカルでシャープに始まります。テノールのアライサは少し声が細いですが、表現は素晴らしいです。ベルリンフィルの演奏はとてもレヴェルが高く、伴奏ですがと対等のかも知れません。
第2曲はアルトの歌唱はとても良いです。ベルリン・フィルは、バーンスタイン盤のようにわびさびを感じるような風合いはないですが、上手くサポートしており、録音も良く細かいパートまでしっかり聴き取れます。
第3曲は軽快ですが遅めのテンポです。なるほど、このテンポでも面白く聴けますね。第4楽章も少し遅めですが、軽快さがあり、なかなか味わいもあります。第5楽章はリズミカルな演奏で、テノールのファスベンダーの巧みな表現が光ります。
第6楽章「告別」はさすがに穏やかに聴けるとは言えないですね。アルト(メゾソプラノ)のファスベンダーは非常に上手く表現しています。
ワルター盤のフェリアーのような重さは無く、これはファスベンダーがアルトよりも声域が高いメゾソプラノだから、というのもあるかも知れませんが、天上の美しさを感じる歌唱です。一方、アルトの音域でもしっかりした声量があり、奥行きがあり確かに彫りの深い表現をしています。
もちろん、オケのみの所も長いです。ジュリーニとベルリン・フィルは丁寧でヴォキャブラリー豊かな充実した演奏を繰り広げています。
落ち着いて『大地の歌』を聴ける意外に数少ない名盤だと思います。全体的に非常に丁寧に演奏されていてクオリティが高く、かつ音質が良いのでスコアを見ながら聴くには良い演奏だと思います。
ちなみに、テスタメントでこの録音の時に録ったライヴがCD化され、こちらのほうが好評です。筆者は未聴なのですが、ライヴなのでクオリティよりもライヴの感動を優先しているようですね。
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楽譜
マーラーの大地の歌の楽譜・スコアを挙げていきます。
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