レオシュ・ヤナーチェク (Leos Janacek,1854-1928)作曲のグラゴル・ミサ (glagolitic mass)について、解説とおすすめの名盤レビューをしていきます。最後に楽譜・スコアも挙げてあります。
大量の打楽器や合唱を使うなど、演奏するのは大変です。特に原典版は多くの打楽器を使用します。それでも人気があるので、最近は結構な頻度で上演されていますし、それらを録音した名盤が増えてきました。
ヤナーチェク研究家のマッケラスをはじめ、クーベリック、ノイマン、アンチェル、ヴィエロフラーヴェク、ほか、主要な指揮者は録音していますし、名盤も多いです。中でもマッケラスは2度録音し、映像もリリースしています。
解説
ヤナーチェクのグラゴル・ミサについて解説します。
スラヴ語のミサ曲
ミサというのは、キリスト教の典礼の儀式で、一定の形式があります。プロテスタントのドイツのものとカトリックのイタリアのものでは異なります。スラヴの場合は、ロシア正教会の影響を受けていますので、また随分違うものだと思います。
チェコはオーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルグ家)の支配を長く受けていましたが、民族主義の強まりにより独立しました。オーストリア=ハンガリー帝国はカトリックです。国民楽派はスメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェクという風に受け継がれています。
スメタナとドヴォルザークが象徴的に取り上げたものに、ヤン・フスを中心としたフス教徒と呼ばれ宗教改革運動を行った一派がありますが、これはチェコ語でミサを行うことを推奨した運動です。しかし、ヤン・フスは異端の形で火刑に処されてしまいます。
ヤナーチェクは、オペラ「ブロウチェク氏の旅行」で15世紀のフス教徒の勝利を描いています。『グラゴル・ミサ』で、これを意識していたかは分からないのですが、『グラゴル・ミサ』は教会スラヴ語を使用したミサであり、ヤン・フスの宗教改革運動を具現化したもの、と言えるかもしれません。もっともヤナーチェクはチェコ人ですが、モラヴィアの出身であり、チェコの主流であるボヘミア地方とは少し違うのですけれど。
ヤナーチェクはスラヴの典礼形式でミサ曲を作曲しました。そのため、この曲も国民楽派的なチェコへの愛国心に満ちたものになっています。
原典版はティンパニ12個使用!
合唱、大規模なオーケストラ、パイプオルガンを使用した大編成の曲であり、特にティンパニが12個必要になるなど、スケールの大きな曲です。
曲の内容も素晴らしく20世紀に作曲されたミサ曲の中でも特別な名曲です。
最後はパイプオルガンの独奏となり、この曲もインパクトありますね。
「原典版」と「演奏会用標準版」
曲は「原典版」と「演奏会用標準版」といわれるものがあり、通常は演奏会用標準版が演奏されます。しかし、最近は原典版が演奏される機会も多くなりました。
演奏会用標準版は、全体的にきれいにまとまっていて、複雑なリズムが単純化されているなど、演奏しやすくなっています。また編成も原典版より小さくその点でも取り上げやすいといえます。
原典版は、複雑なリズムでスラヴの民族性がより強調されています。またイントラーダで始まり、最後にまたイントラーダが演奏されて終わるなど、シンメトリックな構成になっています。中間にはパーカッションのアンサンブルなどもあります。そのためやはり演奏を聴いていても原典版のほうが聴きごたえがありますね。
第1曲:序奏
第2曲:キリエ
第3曲:グローリア
第4曲:クレド
第5曲:サンクトゥス
第6曲:アニュス・デイ
第7曲:オルガン独奏
第8曲:イントラーダ
おすすめの名盤レビュー
『グラゴル・ミサ』の、おすすめできる名盤をレビューしていきます。
クーベリック=バイエルン放送交響楽団 (演奏会用標準版)
クーベリックとバイエルン放送交響楽団の録音は、世評が高い名盤です。「演奏会用標準版」での演奏です。録音も安定しています。マッケラスに比べるとテンポが速めで、リズミカルな個所の方を楽しめます。また、強い感情が入っている演奏で共感できます。
序奏はパワーと技術力の高いバイエルン放送交響楽団の実力で、ダイナミックで力強いファンファーレが楽しめます。クーベリックはチェコ出身ですから、ヤナーチェクにも非常に深く共感し、情熱的で力強い音楽を展開していきます。
グローリアなど、歌唱が入るとオペラのように劇的な演奏になっていきます。味わい深くテンポを落とし、ボヘミアの深い森にいるような雰囲気です。またテノールのヘルベルト・シャハトシュナイダーが美声を聴かせてくれます。合唱のレヴェルも高いです。オルガンが登場する辺りは、激しい感情表現で鋭さがあります。クーベリックのヤナーチェクの特徴ですね。
オルガン・ソロも速めのテンポで激しく盛り上がります。ラストのイントラーダはテンポが速く、リズム感が良いので、爽快な気分で聴き終えることが出来ます。
マッケラスとクーベリックだと随分解釈が異なるので聴き比べると面白いと思います。
アンチェル=チェコ・フィル (演奏会用標準版)
アンチェルとチェコ・フィルの録音です。スケールの大きな音楽なので、このコンビが持っている重厚さを発揮できそうです。録音は少し古さを感じさせますが、しっかり録音してあるためリマスタリングにより臨場感が出ます。
「序奏」はチェコ・フィルの厚みのある響きを聴くことができ、また管楽器のダイナミックな響きを聴くことが出来ます。第2曲「キリエ」は厚みのある合唱が印象的です。壮麗であると共にとても深みを感じます。
第3曲「グローリア」はドラマティックな展開になっていますが、独唱、合唱共にスケールの大きな響きです。スタンダードなテンポ取りですが、録音会場の響きも良く、さまざまに出てくる合唱、木管のパッセージなど、それぞれのキャラクターが良く出ています。それにしても合唱の上手さ、壮大さは素晴らしいです。
第4楽章「クレド」は合唱が力強く重厚さがあります。チェコフィルの低音域も効いています。盛り上がってきて高弦も味のある響きを聴かせてくれます。第5曲「サンクトゥス」は重厚なサウンドですが、曲がいよいよ盛り上がってきて強い感情表現も感じます。パイプオルガンもしっかり壮大に録音されています。合唱の弱音での響きも奇麗にまとまっていて素晴らしいです。穏やかさもありますが、根底に緊張感があり弦のソロの音色にも鋭さがあります。壮大なコーラスが入り、リズミカルな部分に入っていきます。リズムはあくまで軽快ですが、オケも合唱も重厚です。第6曲「アニュス・デイ」は憂鬱さのある表現で、時おり現れるグロテスクな響きを避けようなどとはしません。
第7曲はオルガン独奏です。太い音色のパイプオルガンですが、リズミカルでとてもスリリングな演奏です。第8曲「イントラーダ」も重厚さがあり、ダイナミックですが、なかなかリズミカルでスリリングかつスケール大きく曲を締めます。
このアンチェルとチェコ・フィルの録音は、壮麗でダイナミックであり、テンポ取りなどはマッケラス盤にも近く、後年の演奏に大きな影響を与えたと思います。中身の詰まった重厚な名盤です。この後の録音はオペラのような表現が多いと思うのですが、アンチェルの『グラゴル・ミサ』はダイナミックですがシリアスです。
マッケラス=チェコ・フィル (演奏会用標準版)
このマッケラスとチェコフィルの演奏が一番ポピュラーで定番といっていいと思います。演奏会用標準版を使っています。マッケラスの音楽づくりはまさに王道で、オーケストラの演奏レベルも安定しています。弦楽器も管楽器もハイレベルで、とても上手いです。
マッケラスの指揮により、リズム感もしっかりしていて、スケールの大きさ、ふくよかな響き、必要な個所では軽快なリズムで、まさにスタンダードと呼ぶにふさわしい名盤に仕上がっています。「演奏会用標準版」なら、このディスクが十分お薦めです。
さらにもう一つ映像付きのDVDがあり、こちらは原典版の演奏です。同じ演奏者の組み合わせですから、演奏会用標準版と原典版がどのように異なるのかがよく分かります。チェコフィルも原典版は演奏に慣れていないかも知れません。ちょっとリズム的に演奏しにくそうな個所もあります。
でも、壮大なオーケストラの編成を見ることが出来るという意味ではとても参考になります。グラゴルミサを聴いてみたいなら、まず両方を入手するのが一番良いと思います。
マッケラス=チェコ・フィル (原典版)
ビエロフラーヴェク=チェコ・フィル (1927年初演版)
円熟して巨匠となったビエロフラーヴェクとチェコ・フィルは、名盤を多く残しています。その中でもグラゴル・ミサは、ユニークなヴァージョンを使っているようです。原典版でもないですし、演奏会用標準版でもないですね。1927年初演のヴァージョンでの演奏とのことです。率直に言えば、演奏会用標準版に比べるとまだ完成度が低いかも?と思います。
演奏会用標準版に近いのですが、音が少ない感じがします。特に金管楽器から、いくつかフレーズが抜けていたりして、実際に音の数が少ないと思います。そのためか、すっきりした響きになっています。ヌドルフィヌムでの2013年録音という新しい録音ですが、チェコフィルの弦楽器は普段以上にビロードのような響きで、とても素晴らしいです。弦楽器の音色が良く聴こえる演奏です。管楽器のほうが、割愛されている部分があるようで、オーケストラのトゥッティでは金管楽器が出てこなくて、あまり盛り上がらないところもあります。その代わり、弦楽器やファゴットなど普段聴こえにくい木管楽器が手に取るように聴こえます。
ビエロフラーヴェクは巨匠といわれる時期になっても、ヴァージョンは良く研究していて凄いですね。演奏のほうは、円熟していてしなやかさがあり、少し枯れている感じもするくらいです。ヴァージョンの話は一旦置いておいて、演奏は味わい深く、凄く満足感が高いです。
考えてみると、この初演版は、あまり派手ではないため、いままでのスケールが大きなグラゴルミサというイメージではありません。落ち着いて聴くことが出来て、特に弦楽器や木管の響きをじっくり味わえるという利点はあると思いました。また合唱も頑張って歌わなくても良く、声を張り上げることもありません。響きがとても良いのです。もちろん、ハイノートなどはあるので、余裕で歌える、という訳でもないですが、他のディスクに比べて、響きの良さと透明感を感じます。
最近、テンポが速いCDが多かったので、この演奏は録音も良く、味わい深い名盤だと思います。ヴァージョンの違いは最初少し「あれ?」と思う程度で、この演奏のスタイルに慣れてくるとそれほど気にならないと思います。聴いた後、非常に満ち足りた気分になりました。
ヤノフスキ=ベルリン放送交響楽団 (原典版)
ヤノフスキとベルリン放送交響楽団の録音です。「原典版」の新しい録音です。ヤノフスキらしく、テンポは全体的に速めでシャープですが、聴きどころはじっくり聴かせてくれます。オーケストラの部分がとてもうまいです。また、2010年録音で音質はとても良いです。マッケラスともクーベリックとも異なる、感情よりも知的な部分を前面に押し出した演奏ですね。知的ですが、聴いていて物足りないと思うところはありません。
原典版なので「イントラーダ」から始まります。速めのテンポで爽快です。ベルリン放送交響楽団は金管も弦も安定した技術力で、「原典版」演奏に相応しいですね。「序奏」は7連符になっています。ヤノフスキもテンポを速めて上手くアンサンブルさせています。
第2曲「キリエ」は少し軽快なリズムと薄手の響きです。合唱もそこまで重厚さはありません。第3曲「グローリア」はソプラノ独唱が自由に歌い、ミサという感じではない、というか、それが自然豊富なスラヴのミサなんじゃないか、と思います。ヤノフスキは知的に分析的になることはなく、自然に進めていきます。ソプラノが緊張感を帯びて歌う所も弦は柔らかい音色で包み込んでいます。ティンパニなどはもっと思い切り叩いてほしい気もしますけれど。
第4曲「クレド」は合唱に強めの感情表現がありますが、重厚になることはありません。オケの伴奏やトランペットが上手く絡み、独唱も感情表現があるので、柔らかい響きのままでも充実感があります。後半に入ると原典版特有のパーカッションが入った合奏部分があります。合唱も段々テンポが速くなっていきます。第5曲「サンクトゥス」は穏やかな表現で始まり、そこに繊細にソプラノ独唱などが入ってきます。リズミカルな部分になるとテンポは速めで、自然なテンポで小気味良く進めていきます。第6曲「アニュス・デイ」もシリアスながらフワッとした響きで、テンポ取りも壮大になることを避けるように速めです。
第7曲のオルガン独奏は素朴な音色のオルガンで、チェコの大聖堂、というよりボヘミアの小さな教会のパイプオルガンを思い起こさせます。第8曲「イントラーダ」が速めのテンポで演奏され、爽快感と共に曲を閉じます。
ヤノフスキの録音はもしかするとクールに聴こえるかも知れませんが、聴き所のツボを良く抑えているので、それは最初だけです。演奏しにくい「原典版」でもとても自然な演奏だし、ボヘミアの森の雰囲気が良く出ていて、なかなか捨てがたい味がある名盤です。他の演奏を聴いて、重厚すぎる、と思ったら、これを聴いてみてください。
マズア=ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管 (演奏会用標準版)
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ヤナーチェクの『グラゴル・ミサ』は、編成が大きいことも特徴です。映像を見ると舞台がどうなっているのか、良く分かります。
マッケラス=チェコ・フィル
マッケラスとチェコ・フィルの演奏は、原典版を使っており、特に大編成なオーケストラと合唱、パイプオルガンを使っています。CDの演奏会用標準版との大きな違いも分かります。もちろん演奏も素晴らしく、感情表現も強めで味わい深いです。とても貴重なDVDです。
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楽譜・スコア
ヤナーチェク作曲のグラゴル・ミサのスコアやヴォーカルスコアを紹介します。