毎年年始のウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートは、本拠地のウィーン楽友協会大ホールで開催されています。その人気はクラシックファンにとどまらず、全世界で90ヵ国以上に中継されます。チケットは大変な人気で高額ですが、それより入手すること自体が大変です。実際聴きに行くのは贅沢ですね。
ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートとは
改めて説明する必要もないかも知れませんが、ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートについて書いてみます。その後、過去のニュー・イヤー・コンサートの名盤レビューをしていきます。
ニュー・イヤー・コンサートの現在
日本では元旦の夜にNHKでライヴ中継放送されますが、オーストリア時間では元旦の午前11時頃に開演します。元旦のしかも午前中のコンサートです。
ウィーン楽友協会大ホールは窓があって自然光が入るため、会場にいれば午前中の爽快感もありそうですね。筆者は定期演奏会を聴いたことがありますが、かなり明るさを感じる会場でした。黄金のホールと言われますが、基本的には木造で、木の温もりが感じられます。そこに様々な彫刻などが配置されており、金箔が使われています。それもあって「黄金の響き」と言われています。実際に黄金が音響に影響があるか分かりませんが、ウィーン・フィルは華やかで艶のある黄金の音色を出すことが出来ます。こういう音色が出せるのは世界広しといえどもウィーン・フィルだけです。
ウィンナ・ワルツの時代
オーストリア・ハンガリー帝国の首都であったウィーンは、昔から社交界があり、ダンス音楽もありました。
ニュー・イヤー・コンサートはシュトラウス一家のウィンナ・ワルツがプログラムの中心です。実際にウィーンの社交界で演奏されていた音楽です。ポルカとワルツがありますが、特にワルツはオーストリア的なリズム感が必要です。もともとレントラーというオーストリアの農民の音楽を宮廷に取り入れたものです。
ウィンナ・ワルツの様式はヨーゼフ・ランナー(1801年~1843年)によって確立されました。そして、シュトラウス一家により引き継がれます。
ヨハン・シュトラウス 1世とシュトラウス一家
シュトラウス一家は、ラデッキー行進曲で有名なヨハン・シュトラウス一世が1823年ごろに活動開始したことを皮切りに、長男で王道の名曲を数多く作曲しワルツ王と言われるヨハン・シュトラウス二世(1825年-1899年)、次男のヨーゼフ・シュトラウス(1827年~1870年)、三男のエドゥアルト・シュトラウス一世が有名です。
ヨハン・シュトラウス 2世
ヨハン・シュトラウス二世は名実ともに備えていて、『美しく青きドナウ』『ウィーンの森の物語』『皇帝円舞曲』『春の声』『雷鳴と電光』、他、多数の誰でも知っているワルツやポルカを作曲し、またウィンナ・オペレッタの名作である喜歌劇『こうもり』を作曲し、その『こうもり』序曲も有名です。
ヨーゼフ・シュトラウス
ヨーゼフ・シュトラウスは、最初は工学技士を目指していましたが、作曲の才能もありました。1853年に指揮者としてシュトラウス楽団にデビューします。『オーストリアの村つばめ』、ポルカ・マズルカ『女心』、『鍛冶屋のポルカ』、特に有名な『ピツィカート・ポルカ』などがありますが、ワルツ『天体の音楽』が一番評価が高いでしょうか。『天体の音楽』は実は歴史があるジャンルの音楽で、ガリレオ・ガリレイまで遡ります。理系の音楽家らしくダンス音楽であるワルツやポルカでも知的な作品を作曲しています。しかし、過労と心労がたたり1869年に指揮中に倒れ、その才能を発揮しきらないうちに早世してしまいます。
余談ですが、江戸幕府によって派遣された文久遣欧使節が1862年にロシアを訪問した際に、ロシアに居たヨーゼフは『日本行進曲』という曲を作曲しています。
エドゥアルト・シュトラウス 1世
エドゥアルト・シュトラウス一世は、語学に堪能で外交官を目指していました。しかし、多忙を極めるヨハン・シュトラウス二世により通奏低音奏者としてシュトラウス楽団に参加することになります。1855年にハープ奏者として、ヨハンの指揮のもと、シュトラウス楽団にデビューしました。作曲家としても安定した活動を続けましたが、有名なのはポルカ『テープは切られた』など、あまり数が多くはありません。
ヨハン・シュトラウス二世の後継者として、エドゥアルトは宮廷舞踏会音楽監督となりました。さらにヨハン・シュトラウス二世から軽く見られ、不和になるなど、兄弟間の問題もありました。1898年に長男がヨハン・シュトラウス3世としてデビューしました。しかし、エドゥアルトは1901年に引退を表明し、シュトラウス楽団も解散し、楽団所有の楽譜を焼却処分してしまいました。
ただ、エドゥアルトの孫のエドゥアルト・シュトラウス2世が1966年にウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団を再興しています。エドゥアルトの系譜が現在のシュトラウス一家の人気を維持してきた、とも言えます。
ウィンナ・ワルツのリズム
ウィンナ・ワルツは2拍目が早めで、3拍目が少し遅めなのですが、これはテンポによっても変わります。ワルツは円舞曲とも言いますが、円を描くように踊りますが、1拍目で勢いをつけているので、2拍目、3拍目は自然にその位置に来るのです。なので知識だけでウィンナ・ワルツを演奏しても不自然になってしまい、ウィンナ・ワルツのリズムにはなりません。お隣のドイツのオケでもウィーン・フィルのようには行きません。
ウィーン・フィルはウィンナ・ワルツを演奏するオケ、という訳ではありませんが、オーストリア人が中心で構成されており、オーストリアの舞曲をとても自然に演奏できます。指揮者は必ずしもオーストリア人ではないので、ウィーン・フィルが持っているリズム感を邪魔しないように指揮していますね。
ニュー・イヤー・コンサートの歴史
1939年12月31日にオーストリア人のクレメンス・クラウスの指揮で行われたヨハン・シュトラウスの作品のコンサートが源流です。1941年に第2回のコンサートが元旦の正午に行われました。記念すべきニュー・イヤー・コンサート始まりです。しかも、第2次世界大戦が激化してきた時期にあたります。
クレメンス・クラウスを中心に続けられましたが、1955年に同じくオーストリア人のヴィリー・ボスコフスキーが登場し、1959年にTV中継が始まり、人気が高まっていきます。ボスコフスキーは1979年まで指揮台に立ちました。ボスコフスキーはウィンナ・ワルツ演奏を中心に活動し、自らの楽団も組織し、CDも多くリリースしています。
その後、ウィーン国立歌劇場の指揮者であったロリン・マゼールが引き継ぎ、1980年~1986年まで指揮台に立っています。ユダヤ系ロシア人とハンガリー人のハーフなので、特にオーストリアにゆかりは無いようです。
1987年にはオーストリア人のヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮台に立ち、晩年で動きの少ない指揮ながら、名演を残しています。
その後は、毎年指揮者が変わるようになり、オーストリア人以外の指揮者も頻繁に登場するようになります。当時のスター指揮者であったアバド、メータ、ムーティ、そしてマゼールも再登場しています。
とりわけ素晴らしかったのは、やはりオーストリア人のカルロス・クライバーによる2回のコンサートで、1989年と1992年です。オーストリア的なリズム感を完全に体現した演奏は、今でもニュー・イヤー・コンサートを代表する名演です。
2001年と2003年のアーノンクールも注目されました。アーノンクールもオーストリア人であり、アーノンクールらしい硬派な演出もありましたが、しっかりしたウィンナ・ワルツの演奏でした。
2008年、2010年のジョルジュ・プレートルはフランス人ですが、ウィーン交響楽団やドイツの楽団とも多くの名演を残してきた指揮者です。プレートルは実に楽しいフランス人らしい演奏を繰り広げ、2度登場しています。
最近では、オーストリア人のフランツ・ヴェルザー=メストが注目されました。メストはウィンナ・オペレッタも多く手掛けており、地元オーストリアの音楽にこだわりを持った指揮者です。スッペの軽騎兵序曲なども名演でした。来年の2023年の指揮者にも決まっています。
ウィンナ・オペレッタ
最近ではウィンナ・オペレッタ(喜歌劇)などもレパートリーに良く入っています。ヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇『こうもり』はもちろんですが、スッペの喜歌劇『軽騎兵』序曲など、スッペの序曲も演奏されます。スッペは数十年前はとても有名な作曲家でしたが今ではどうでしょうか。主にオペレッタの序曲ですが、喜歌劇『軽騎兵』序曲、喜歌劇『詩人と農夫』序曲、喜歌劇『美しきガラテア』序曲などが有名ですね。オペレッタ本編は失われているものが多いのですが、序曲は親しみやすく人気があります。またスッペのライヴァルでフランスで活躍したオッフェンバックの『天国と地獄』序曲も演奏されています。
レパートリーの拡大
また、オーストリア以外の指揮者も登場するため、例えばイタリアの指揮者アバドは、得意なロッシーニの序曲を取り入れたりしていました。
歴代ニュー・イヤー・コンサートの名盤レビュー
このページでは、いままでのニュー・イヤー・コンサートを振り返って、ディスクや映像をレビューしていきたいと思います。
カルロス・クライバー=ウィーン・フィル (1989年&1992年)
クライバー,演奏:ウィーン・フィル (1989年)
最も素晴らしく伝説的なニュー・イヤー・コンサートといえば、やはりカルロス・クライバーが指揮した2回です。オーストリア人のカルロス・クライバーは、生前にリリースされたディスクが全て名盤、という伝説的な指揮者です。
しかし、完璧主義者で極端にレパートリーが狭く、コンサートの回数も少なく、1989年はC.クライバーのドタキャンに備えて、舞台裏にアバドが待機していた、と言われています。実際、開演時間を数分過ぎてやっと登場し、聴衆を安心させました。しかし演奏が始まると、その演奏はまさにウィンナ・ワルツで、生き生きとしたリズムは聴衆を魅了しました。またポルカは速いテンポでスリリングに演奏され、会場は大盛り上がりでした。
特に1989年の『こうもり』序曲は素晴らしく、もともとカルロス・クライバーはバイエルン国立歌劇場でオペレッタ『こうもり』の超名演がありますが、それよりも数段素晴らしい名演でした。ワルツを踊るように指揮し、テンポ設定やルバートも自由自在。最後は物凄いスピード感でウィーン・フィルから白熱した演奏を引き出しています。
1992年は後半にポルカが連続し、とてもスリリングな演奏でした。CDで聴くと少し煽りすぎたかな、と感じなくも無いですが、歴代のニュー・イヤー・コンサートでここまで白熱したコンサートはありません。
ニュー・イヤー・コンサートに限らず、本物のウィンナ・ワルツ、ポルカ、あるいはオーストリアの音楽を聴きたいならC.クライバー盤は絶対外せません。
カラヤン=ウィーン・フィル (1987年)
カラヤン=ウィーン・フィル (1987年)
ウィンナ・ワルツやオペレッタは、ウィーンの音楽界では少し下に見られており、例えばマーラーなどの作曲家はレハールのオペレッタ『メリー・ウィドウ』に強い興味を持ったものの、自分では聴きに行くことが出来ず、弟子に聴きに行かせた、という逸話が残っています。ニュー・イヤー・コンサートもいわゆる大指揮者が登壇することはありませんでした。ロリン・マゼールも一流指揮者ですが、当時は若手~中堅指揮者でした。
間違いなく巨匠である晩年のカラヤンがニュー・イヤー・コンサートに登場したことで、このコンサート自体の価値も高まったのでした。しかも、カラヤンはオーストリアのザルツブルク生まれで、オーストリア音楽は得意です。
カラヤンは既に晩年で、指揮姿も動きの少ないものでしたが、その演奏はスケールが大きく華麗でした。またカラヤンはウィーン・フィルから磨き抜かれた黄金の響きを引き出すことにかけては歴代最高の指揮者です。キャスリーン・バトルの歌った『春の声』も名演でした。
オーストリアの雰囲気と、晩年のカラヤンの格調ある奥ゆかしい音楽づくりが、ニュー・イヤー・コンサートでも再現されています。懐(ふところ)の深い指揮でしたが、ただウィーン・フィルに任せているわけではありません。新年のコンサートだからと言って、まったく手を抜かずにしっかりした音楽を作り上げています。その結果、今でも多くのリスナーに聴かれている名盤となっています。
プレートル=ウィーン・フィル (2010年)
2008年と2010年に登場したジョルジュ・プレートルです。2008年のコンサートでも元気な指揮ぶりで聴衆を沸かせ、CDも世界的なセールスを記録しました。再度の登場の2010年では、喜歌劇『こうもり』序曲から始めるという意欲的なプログラムです。
ジョルジュ・プレートルというと、フランスの面白いお爺さん、というイメージがあるのではないでしょうか?確かに、それはそうなのですが、実はフランスのクラシック界は担ってきた巨匠です。若い時はフランスの近現代作曲家フランシス・プーランクの作品を初演したり、プーランクの作品集をリリースしたり、と、音楽史に名前を残す活躍ぶりです。またオペラの世界でも評価が高く、マリア・カラスの歌ったビゼーの歌劇『カルメン』の指揮も務めています。
クリュイタンスやマルティノンに次ぐ世代の指揮者として、フランスのトップ指揮者として活躍してもおかしくない才能の持ち主ですが、それ以後はしばらくドイツやイタリアのオケの指揮台に立つことが多かったです。
しかし、パリ国立歌劇場管弦楽団の来日の際には、ベルリオーズの『幻想交響曲』などで、素晴らしい演奏を聴かせ、日本の聴衆に強い印象を与えました。幻想交響曲も正規盤はウィーン交響楽団とのディスクですが、来日時よりシャープさに欠けるので少し残念です。もしプレートルがフランス物をフランスの一流オケと本気で録音していたら、フランスのクラシック界はもっと盛り上がったかも知れません。
そんなフランスのエスプリを体現したような巨匠となったプレートルは2000年代に入り、また注目を浴びるようになってきました。最後にニュー・イヤー・コンサートに登場したことは、ファンとしても嬉しい限りです。あまり知られていなかったフランスの巨匠プレートルが、フランスのエスプリを保ったまま円熟していたことが分かりました。そして、そのコンサートは驚くほど盛り上がり、プレートルの人気にさらに火を付けました。主にライヴ録音ですが多くのディスクが発売されるようになりました。
そんなフランスの巨匠だけに、オペレッタの世界でスッペとライヴァルだったオッフェンバックの喜歌劇『ライン川の水の精』序曲も取り上げています。あまり有名な曲ではありませんが、プレートルはオッフェンバックの第一人者でもあります。
ウェルザー=メスト=ウィーン・フィル (2013年)
ウェルザー=メストはオーストリア出身の指揮者です。近年、オーストリアの指揮者は少なくなりましたが、ウェルザー=メストは歌劇場で活躍し、オーストリアのオペレッタなどにもこだわりを持っています。特にスッペに関しては、こだわりがあるようです。
プログラムにスッペの『軽騎兵』序曲が入っていますが、シャープでオペレッタらしい節度を持った名演です。『軽騎兵』序曲の名盤と比べるとスウィトナーのような素朴な演奏では無く、カラヤンのようなダイナミックな演奏でもありません。これから本編が始まりそうな演奏です。
また、ワーグナーの『ローエングリン』第3幕への前奏曲が取り上げられています。ニュー・イヤー・コンサートでワーグナーとはあまり今まで無いパターンな気がします。演奏はとてもクオリティが高い名演で、非常に盛り上がっています。劇場で活躍するウェルザー=メストならではです。ポルカ『おしゃべりなかわいい口』は、カルロス・クライバーの名演が記憶に残りますが、それと同じ位素晴らしい演奏です。ポルカに対してここまできちんとまとめ上げる手腕、という意味ではC.クライバーを超えていると思います。ウェルザー=メストは細かい所までしっかりまとめ上げた上で、とてもシャープでスリリングに盛り上げ、会場もヒートアップしています。
シュトラウス一家の曲目は、隠れた名曲が多いですね。有名なのはヨーゼフ・シュトラウスの『天体の音楽』でしょうか。これも良い演奏で、夜空に輝く星を煌びやかに色彩的に表現しています。この曲は良く取り上げられますが、ここまで上手くまとめたクオリティの高い演奏は、なかなかありません。知的な名演です。
ウィンナ・ワルツの『美しき青きドナウ』は華がある流麗な演奏です。リズムにシャープさがあって、カルロス・クライバーほど、ウィーン・フィルのリズムに任せている感じではないですね。ウィーンらしい格調では、近年のニュー・イヤー・コンサートではなかなか聴けない煌びやかさと流麗さがあります。もちろん、ウィーン・フィルのリズムを邪魔することは無く、上手くコントロールしています。
最後の『ラデッキー行進曲』は、溌剌とした名演奏です。リズムにシャープさがあり、テンポ取りもスリリングさがあります。ただ、楽しめるニュー・イヤー・コンサート、ではなく、音楽的にとてもクオリティが高い演奏だと思います。溌剌とした演奏で、会場もとても盛り上がっています。