
サミュエル・バーバー (Samuel Barber,1910-1981)作曲の弦楽のためのアダージョ (Adagio for Strings)について、解説とおすすめの名盤レビューをしていきます。ハリウッド映画『プラトーン』や『エレファントマン』のクライマックスシーンで流れる音楽です。
解説
バーバーの弦楽のためのアダージョについて解説します。
作曲と初演
バーバーは1935年にローマに留学した際に、弦楽四重奏曲 ロ短調 Op.11を作曲しました。バーバーがまだ25歳の頃の作品です。『弦楽のためのアダージョ』は、その第2楽章を、1937年に弦楽合奏用に編曲したもので、演奏時間は10分程度です。また、同曲は1967年に無伴奏混声合唱曲『アニュス・デイ (神の子羊)』にも編曲されています。
同時期の1936年には交響曲第1番も作曲しています。この曲はアメリカ人作曲家が初めてウィーン・フィルで演奏された例としても知られ、1937年のザルツブルク音楽祭で演奏されました。
早くからバーバーは作曲家として認められ、『弦楽のためのアダージョ』の初演は1938年11月5日に大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ指揮によるNBC交響楽団によって行われました。
機会音楽としての演奏
この1938年頃といえば、ちょうどドイツやイタリアでファシズムが台頭し、ドイツではユダヤ人排斥が始まったころです。結果として『弦楽のためのアダージョ』は時代に即した音楽だったと言えます。また、第2次世界大戦が終わった直後、ウィーン・フィルなどで上演されています。戦争の哀歌としても相応しい作品といえます。
その後、J.F.ケネディの葬儀、昭和天皇崩御、9.11同時多発テロの犠牲者追悼、3.11東日本大震災の復興コンサートなどで使用され、葬儀や追悼式典で使われる音楽として有名になりました。ただしバーバー自身は、
この曲は葬儀のための音楽ではない
と言っています。
アニュス・デイ (神の子羊)
1963年にJ.F.ケネディの葬儀に使われた『弦楽のためのアダージョ』は、その後の1967年に無伴奏合唱曲『アニュス・デイ (神の子羊)』にも編曲されています。
アニュス・デイは、人間たちに代わって十字架にかけられたキリスト自身のことを指しています。恐らくは最初に弦楽四重奏を書いた時点で、この楽章は「アニュス・デイ」である、と考えていたということですね。確かに、盛り上がって天国的な響きになった後、急に途切れる場面は、その描写なのかも知れません。
だから曲調が相応しくても、普通の葬儀に使うのは少し違う、といえます。もっとも『レクイエム (死者のためのミサ)』にも「アニュス・デイ」は入っているので、逆の見方も出来ますけど。
またハリウッド映画を中心に、映画やドラマのBGMとしても非常に良く使用され、それも有名になった要因ですね。近年では、ヒーリング音楽として人気があります。
おすすめの名盤レビュー
それでは、バーバー作曲弦楽のためのアダージョの名盤をレビューしていきましょう。
この曲はシンプルですが、繊細な表情が付けられており、演奏によって随分イメージが変わる曲です。演奏者が何を重視するか、が大事なのだろうと思います。
バーンスタイン=ロサンジェルス・フィル
バーンスタインは母国アメリカ音楽を多く録音しています。バーバーの弦楽のためのアダージョも最初に挙げるべき演奏だと思います。このロサンジェルス・フィルとの演奏は晩年の名演です。1980年代の録音で、音質も良いです。
ロスフィルの弦は透明感がありますが、冒頭はその透明感を活かした冷たい雰囲気で始まります。弦のメロディが盛り上がってくると、かなりヴィブラートを掛け、透明感は失いませんが、感情を入れ込んだバーンスタインらしい響きになってきます。バーバーの音楽は一見シンプルですが、オーケストレーションが特に優れていいて、独特のクールさです。そこから盛り上がってピークに達すると天上の音楽のようです。徐々に穏やかになり、消え入るように終わります。
まず、この演奏がスタンダードだと思います。もっともロマン派的なバーバーの音楽で、円熟期のバーンスタインの演奏なので、テンポはかなり遅めだと思いますけど。
ジンマン=ボルチモア交響楽団
ジンマンがボルチモア交響楽団を指揮した演奏です。新しい録音で音質も良いです。ジンマンは少し抑制的に重厚さのある響きで『弦楽のためのアダージョ』を演奏しています。
冒頭は聞こえない位、小さい音量で始まります。重く深みのある響きです。弦の主題は徐々に明確になっていきます。感情は抑制的ですが、段々と感情も深まっていき、和音の微妙な変化を活かしつつ徐々に盛り上がっていきます。ピークの部分は透明感もあり、共感も感じられ、天国的な感動的な演奏になっています。そして、デクレッシェンドしていく部分は、重みのあるクールな響きで、憂鬱に消え入るように終わります。
予想よりもずっと名演でした。ジンマンは良い時と悪い時で差が大きいのですが、この演奏は間違いなく名演です。何かのBGMには向かないかもしれませんが、シリアスさのあるこの曲に正面から向き合った演奏です。
バーンスタイン=ニューヨーク・フィル
バーンスタインがもっと若い頃の演奏で、ニューヨーク・フィルハーモニックを指揮したものです。
厚めのヴィブラートを強くかけた弦に響きに、少しロマンティックさも加わっています。テンポは、晩年のロスフィルとの演奏に比べると速めです。まだ晩年のヴォキャブラリー豊富な表現は聴かれませんが、少しずつ変化しながら、盛り上がっていきます。盛り上がりのピークの神々しさは、この頃から既にあったんですね。ピークの後は、重々しく静かになっていき、消えていきます。
きっと『弦楽のためのアダージョ』と言えばこの演奏、という人も多いと思います。特にこの冒頭の弦の厚みのある響きは素晴らしいです。この曲を代表する名盤の一つだと思います。
オールソップ= ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管
オールソップとロイヤル・スコッティシュ管弦楽団の演奏です。オールソップは女性指揮者です。淡い色彩感のある精妙な音楽が得意で、例えば武満徹などが得意な指揮者です。ただ、合わない曲だとあまり良い演奏にならない時がありますね。
オールソップはロイヤル・スコッティシュ管から澄んだ透明な響きを引き出し、これまでの厚みのある弦による演奏とは一線を画しています。ヴィブラートも控えめで、感情を入れ込んだ表現はしていませんが、スコアの読みが深く、繰り返される主題に精妙な変化を付けつつ繊細な演奏を繰り広げています。ピークの部分はとても素晴らしく透明感と色彩感があり、天国的な響きです。バーンスタインは感情的なピークもあるので、それには敵いませんが、繊細さではオールソップの解釈のほうがこの曲に合うかも知れません。
カップリングのチェロ協奏曲、メディア組曲もなかなかの名演です。いずれも筆者は初めて聴くのですが、透明感と精妙な色彩美に満ちていて、良い演奏だと思います。もしヒーリング音楽として良いCDを探しているなら、他のバーバーの作品も含めて相応しいCDです。
プレヴィン=ロンドン交響楽団
プレヴィンとロンドン交響楽団の演奏です。プレヴィンがこの曲を演奏すると映画音楽のように聴こえてしまいます。実際、ハリウッド映画のBGMとしてもこの録音が使われているようです。
小さな音量で始まりますが主題提示はしっかりしており聴き易いです。ただバーンスタイン盤と比べるとバーバーの深みのあるオーケストレーションもそれほど聴こえてきません。プレヴィンはラフマニノフもそうなのですが譜面に忠実なようでいて、ケレン味が結構あって、甘美さを感じます。映画やドラマのBGMには最適ですが、少し宗教的な「アニュス・デイ」という感じではないですね。
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楽譜・スコア
バーバー作曲の弦楽のためのアダージョの楽譜・スコアを挙げていきます。
スコア
電子スコア
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