
セルゲイ・プロコフィエフ (Sergeevich Prokofiev,1891-1953)作曲の交響曲第5番 Op.100について、解説とおすすめの名盤レビューをしていきます。
解説
プロコフィエフ作曲の交響曲第5番の解説をします。
社会主義リアリズム
プロコフィエフは生涯で7つの交響曲を作曲しています。第4番までは西側に亡命していたため、前衛的な技法を使った交響曲も見られます。
しかし、ソヴィエトに戻ってからは、社会主義リアリズムのもと、前衛的な技法はあまり使わず、誰にでも分かりやすい作品を作曲しています。確かに西側の音楽は12音技法のあと、いろいろな実験的な技法を使った名曲が作曲されましたが、多くのクラシックファンに受け入れられた、とは言えないかも知れませんね。
プロコフィエフが社会主義についてどう考えていたかは別として、社会主義リアリズムによって、適度に親しみやすい交響曲を作曲したおかげで、プロコフィエフの作品はクラシックとして定着したといえるでしょう。
もちろんソヴィエトですから、プロパガンダに使われたり、前衛的だったり政権に批判的な音楽は作曲できませんでしたし、上演禁止になった作品も沢山あります。
第2次世界大戦と交響曲第5番
プロコフィエフの交響曲の中でも第5番はダイナミックな作品となりました。
もちろんこれはベートーヴェンの第5番「運命」を意識していたからですが、ソヴィエト当局の期待もあったし、当時戦争のプロパガンダに使える音楽が欲しかったということもあるでしょう。
第5番の第1楽章の最後の盛り上がりは、戦争を伝えるラジオのBGMに使われたりもしたようです。その後、戦争の被害を憂えたプロコフィエフは短調の交響曲第6番を作曲しましたが、これはソヴィエト当局があまり好まないことでした。
ショスタコーヴィチなどは、もっと直接的にソヴィエト当局を批判したような交響曲を作曲し、なかなか初演できないこともありました。
戦争の軍隊の出撃をモチーフにした音楽は、それぞれ国にあります。アメリカではスーザが吹奏楽のマーチを沢山作曲しました。いまでは日本の中高生が普通に演奏していますが、トスカニーニが指揮する戦前の録音を聴くと鳥肌が立つくらい凄いです。
もちろん日本でも多くの行進曲が作曲されました。中間部に君が代がアレンジされた軍艦マーチが、戦後のパチンコのBGMに使われているわけですから、扱いの差に驚きますね。
そんなわけで当サイトでは戦争は歴史として捉えておいて、曲の面白さを書いてみたいと思います。
エキセントリック
ダイナミックで民族的な第1楽章や少し重々しい第3楽章を除き、プロコの5番を一言でいえば「エキセントリック」ですかね。特に第2楽章、第4楽章は「エキセントリック」という言葉がぴったりです。
まるで交響曲で悪ふざけをしているみたいで、戦争を意図して書かれた交響曲とは思えません。何を意図して書かれたのかは分かりませんけれど。
もともと交響曲第4番もそういう傾向がありますし、プロコフィエフらしい才気だっていて楽しく聴ける交響曲という以上のものではないかも知れません。
プロコフィエフの交響曲といえば、バレエ音楽との関連がある場合が多いのですが、交響曲第4番がバレエ「シンデレラ」、交響曲第7番がバレエ「石の花」とそれぞれ関連があり、モチーフがバレエから引用されています。だとすると交響曲第5番はバレエ「ロミオをジュリエット」かな?と考えたくなりますが、あまり関係があるようには思えませんね。
おすすめの名盤レビュー
プロコフィエフ作曲の交響曲第5番のおすすめの名盤をレビューしていきます。
ロジェストヴェンスキー=ソヴィエト文化省交響楽団
ロジェストヴェンスキーは才能と実力を併せ持った指揮者でしたが、少しユニークな性格でした。オーケストラが期待通りの演奏をしている間は、どの指揮者もオーケストラのアンサンブルに任せますが、振るのを止めることはありません。でもロジェストヴェンスキーは、必要ないと思ったら本当に振るのを止めて静止してしまうのです。
しかしソヴィエトからはロジェストヴェンスキーの才能は高く評価されていました。西側のイギリスで活躍しはじめたこともあり、ロジェストヴェンスキーの亡命を恐れたソヴィエト政府は、彼のためのオーケストラをわざわざ作ってしまったのです。それがソヴィエト文化省交響楽団です。レニングラードフィルやモスクワ放送交響楽団と比べるとテクニックはかなり落ちるのですが、プロコフィエフやショスタコーヴィチの交響曲を演奏するには十分でした。
ソヴィエト文化省交響楽団はロジェストヴェンスキーのための楽団ということで、彼のやりたいことを全て成し遂げることが出来るのです。ブルックナーの違稿を含めた全楽章を含む全集まで録音してしまう始末です。
ロジェストヴェンスキーの得意とするプロコフィエフの交響曲の全集も録音されました。これが今のところ最も素晴らしい演奏です。音程がびっくりするほどズレていることがあっても、ロジェストヴェンスキーのインスピレーションをスポイルすることはありません。エキセントリックな交響曲のもっともエキセントリックな演奏だと思います。
ロジェストヴェンスキーとモスクワ放送交響楽団とのディスクも紹介しておきます。オケとしてはモスクワ放送交響楽団のほうがずっと上手く、こちらも名盤です。
ロジェストヴェンスキーとレニングラード・フィルのライヴもあります。
いずれも廃盤で入手困難ですが、プロコの5番が好きな人には、どれか一つでも持っておいてほしいCDです。
キタエンコもプロコフィエフを得意とする指揮者です。この第5番は第1楽章でのしなやかなテンポ取り、ダイナミックさ、第2楽章、第4楽章のテンポの速さなど、民族性も適度にありますし、エキセントリックな面白さもなかなかです。
ロジェストヴェンスキーとヤルヴィの中間位のスタンダードな解釈だと思うのですが、決してつまらないということはありません。ただ、ここが特に凄い、というものないかも(?)民族性がサウンドに練りこまれているので、十分満足できる演奏になっています。
小澤征爾とベルリン・フィルの録音です。これまでの2つはいずれもロシア人の演奏家によるお国モノの演奏でした。でも小澤征爾とベルリンフィルは違います。しかし、小澤征爾はプロコフィエフがとても得意なのです。理由は分かりませんが、ヤナーチェクやプロコフィエフでは、お国モノなんじゃないか?と思えるくらい共感が感じられます。
小澤征爾は、テンポをしなやかにかつ独特に変化させ、曲の良さを引き出しています。ベルリンフィルはカラヤンとの演奏ではカチッとした一定のテンポで演奏していましたが、小澤のテンポ感にがんばってついて行っています。こんなにしなやかな演奏をするベルリンフィルは珍しいかも知れませんね。そして、このコンピの良い所はそのままです。録音の良さと、透明感のあるオーケストレーションを活かした響きは他の録音ではなかなか聴くことができません。第1楽章の最後は圧巻の一言につきます。第2楽章も素晴らしいです。
ところが第4楽章の最後でシンバルがリズムについてこれないのでした。なぜ再度取り直さなかったのか悔やまれます。それが無ければ間違いなく一番のディスクになっていたでしょう。問題はそこだけです。全体的にとてもスリリングな演奏に仕上がっています。
ネーメ・ヤルヴィとスコティッシュ・ナショナル管弦楽団の録音です。パーヴォ・ヤルヴィの父親のネーメ・ヤルヴィですが、プロコフィエフや民族的な音楽をとても得意としています。
ネーメ・ヤルヴィも小澤征爾と同じくテンポは変幻自在、絶妙に操って面白みを引き出しています。ただネーメ・ヤルヴィの場合、手兵のオーケストラがいますので、オケがついてこれないということはありません。小澤征爾のように正確なバトンテクニックを持っているわけではなく、むしろ映像で見ていると不器用な指揮法なので、アバウトに指揮しても長年一緒に演奏してきたオーケストラのほうが対応してしまうようです。
ロシアの隣であるエストニア出身の指揮者なのでもともと地理的にロシアに近く、求めるリズムや響きも近いと思います。
ウェラーとロンドン交響楽団の録音です。非常によくまとまった出来栄えで定評があります。西側のオーケストラですから民族性やエキセントリックな面白さを求めなければ、密度が高くしっかりしたレベルの高い演奏としてスタンダードといえる位置に来ると思います。録音も西側の標準レベルです。欠点の少ない演奏ですね。
ゲルギエフとロンドン交響楽団の録音です。ゲルギエフはロシア人でいかにもプロコフィエフが得意そうなので期待されていました。しかし、どうも痒(かゆ)いところに手が届かない演奏ですね。ゲルギエフ自身が思ったほどプロコフィエフを得意としていなかったことと、演奏がイギリスのロンドン交響楽団だから、というのがありそうです。
ロンドン交響楽団はイギリスのオーケストラの中でも技術力が高く、マッシブな演奏が得意です。アバドと近代音楽の名演奏を沢山残しています。ただ、イギリスのオーケストラなので、テンポはきっちりしていますし、民族的な音楽が得意とはいえない感じですかね。
ただ期待が高すぎたせいか世評は低いのですが、レベルの高い演奏の一つだと思います。
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楽譜
プロコフィエフ作曲の交響曲第5番の楽譜・スコアを挙げていきます。
ミニチュアスコア
スコア プロコフィエフ 交響曲第5番 変ロ長調 作品100 (Zen‐on score)
解説:藤原 順
4.3/5.0レビュー数:3個