ケーゲル&ドレスデン・フィルの幻想交響曲が怖い! 極端なまでの振幅の大きさ、来
ると分かっていてもそれ以上に決まりまくるティンパニや漸強、漸弱、じと~っと、ま
つわりつくピアニッシモ。鮮烈に突き刺さって来る弦の疾走と耳を劈く金管、虚ろな木
管、さらに伸び縮みする楽音…。第1楽章後半は完全に狂っている! こんな演奏は他
にない。何が「夢と情熱」なものか! 「狂気と絶叫」。これだけでもう聴き手のキャ
パシティは超える。
ケーゲルの凄味は、第2楽章舞踏会でも戦慄もの。言葉が追い付かない。響きと音色が
もう狂っているとしか言いようがない。悪夢。テンションが違うという話ではなく、全
編ダークサイドなのだ。怖い怖い怖い 第3楽章野の風景の冒頭からのこのクソ真面目
な真摯さはなんだ? じっくり、じっとりと一音だに蔑ろにせず奏される様は、中間部
からの低弦の恐怖を弥増しにし、続く高弦の旋律は鳥肌ものである。それにしてもエク
セントリックな高低差。音量調整せずには聴けないほど。およそ描写性を度外視した野
の風景では、最後の雷鳴のティンパニが、断頭台を予兆して間然しない。耐えられない
ほど怖い! 超名演! とうとう第4楽章断頭台への行進。冒頭、明らかにケーゲルは抑
制している。ミュンシュであれば爆発的効果を狙うところ、ケーゲルは先を見ている。
ほとんど然り気無いまでのクールさで、疾走するわけでもなく、最後のティンパニも、
何とフォルティッシモに至らない!! 終楽章ワルプルギスの夜の夢。これまたネチネ
チ、ジットリと描く。淫靡な楽しみであるが如く
に。そして将に梵鐘そのものが鈍く鳴り出す。これは異形である! 指揮者は当然、敢
えてこの鈍い音を要求しているのである。第1楽章の恐怖が甦る。第2、3楽章の狂気
が帰ってくる… そして怒りの日が聞こえ出すと、テンポはさらに踏み締められ、着実
に決して急がず、この狂気のすべてを開陳すべく、ただそれだけを果たすために終結を
目指す。第1楽章にすべてがある、そう納得させる面妖かつ凄絶なる名演! 以上、ケ
ーゲルの幻想交響曲は大音量で聴くべきである。しかし、恐らくそれは可能ではなかろ
う。恐怖と物理的問題によって。ディスクを演奏が完全にはみ出している。
ベルリオーズ:幻想交響曲
¥1,180 ¥1,180 税込
仕様 | 価格 | 新品 | 中古品 |
CD, 2004/5/26
"もう一度試してください。" | 1枚組 | ¥2,166 | ¥2,096 |
CD, 2016/11/2
"もう一度試してください。" | 1枚組 | ¥1,180 | — | ¥990 |
CD, 2008/1/9
"もう一度試してください。" | 1枚組 |
—
| — | ¥1,080 |
CD, 2011/10/5
"もう一度試してください。" | 1枚組 |
—
| — | ¥1,282 |
曲目リスト
1 | 幻想交響曲 作品14 第1楽章:夢-情熱 |
2 | 幻想交響曲 作品14 第2楽章:舞踏会 |
3 | 幻想交響曲 作品14 第3楽章:野の風景 |
4 | 幻想交響曲 作品14 第4楽章:断頭台への行進 |
5 | 幻想交響曲 作品14 第5楽章:ワルプルギスの夜の夢 |
商品の説明
メディア掲載レビューほか
名門シャルプラッテンレーベルの音源を最高音質のマスタリング&UHQCDにて贈るシリーズ。本作は、1979年に初来日後はNHK交響楽団への客演、ドレスデン・フィルの来日公演なども行ったヘルベルト・ケーゲル指揮、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団によるベルリオーズ「幻想交響曲」を収録。 (C)RS
登録情報
- 梱包サイズ : 14.2 x 12.4 x 1 cm; 80 g
- メーカー : キングレコード
- EAN : 4988003494650
- 時間 : 58 分
- レーベル : キングレコード
- ASIN : B01KM7XGFG
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 410,024位ミュージック (ミュージックの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,961位宗教音楽・教会音楽
- - 23,634位交響曲・管弦楽曲・協奏曲
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年3月10日に日本でレビュー済み
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2017年12月2日に日本でレビュー済み
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高域から低域まで良く伸びる音は、明瞭な音像とともにシャルプラッテンの面目躍如と言えます。第五楽章の鐘の音のピッチが少々気になりますし全般的に演奏は凡庸です。
2017年10月29日に日本でレビュー済み
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作品の創作経緯をみれば判るが,ヘクトール・ベルリオーズの幻想交響曲は1件の事件である。この最重要の視点が欠落しているゆえに世に真名盤の誉れ高いミュンシュやムラヴィンスキーのような極めて藝術性の高い名演でさえ,まるで硝子越しに眺める事件現場の記録映像のような,今一つ踏み込みの足りない感覚を覚えてしまうのである。私はベルリオーズの幻想に偉大な藝術性も優れた音楽性も求めはしない。
2016年9月16日に日本でレビュー済み
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もう一人、先客の方とは違い、これまでこの曲は大好きで、ミュンシュ、モントゥー、ブーレーズ、クレンペラーのものなどは特に気に入っていたのですが、ケーゲルのものは別格です。☆を4つにとどめたのは、野の情景のテンポがやや遅すぎ、かつ感情に従った変化が乏しいことが最大の理由です。
オーケストラというのは凄いものです。指揮者の意識していないかもしれない心理状態までを数十人もの人間が、ありありと示してしまうのですから。クレンペラーの「ライン」などもそんな例です、というのはさておき、ケーゲル&ドレスデン・フィルの演奏は、感情の高揚感に欠けているのが唯一の、そしておそらく多くの幻想が好きな人たちの反発を食いそうな欠点ですが、それを除けば、じつに見事です。ビゼーの「アルルの女」でも、ライト・クラシックの代表格になってしまったあの曲を、あの曲の演奏の伝統的行き方から離脱して、原譜に忠実に演奏し、元の台本通りの悲劇(通俗的ではあれ)に引き戻したのは、さすがで、あれを聴くと、他の指揮者のものは、なんだと思うくらいなのですが、この「幻想」もいささかそれに似ます。クレンペラーが楽譜に忠実な演奏をしていましたが、あのほうがまだ高揚感はある、と同時に、ケーゲルに比べるとツッコミが浅くないかと思えてきます。
とりわけ白眉はフィナーレです。楽譜を見ると、鐘の音は、鐘もしくはピアノを用いよ、とのことで、音の高さは、ピアノの中央のドとその1オクターブおよび2オクターヴ下のドを重ねた音、つまり、低い響きが要求されているのです。これ以上はここで言うべきではないでしょう。どうぞご堪能ください。なお、モントゥーとサンフランシスコ、およびガーディナーとレヴォリューショネール・エ・ロマンティックの演奏も低い、ピッチの定まらない鐘を使っていました。近代の演奏会場用のチュブラーベルを使った演奏はもう聴けませんね。
私はこれを某評論家のように「死体的」とも「猟奇的」とも思いませんが、「幻想の大きな特色はクラシック音楽史上初めてグロテスクなものを表現したことだ」という趣旨の、ある音楽学者が某社出版の幻想のスコアの解説につけた評言は正しいと思うし、それを何より見事に示したのが、このケーゲル&ドレスデン・フィルの演奏だと思っています。
カラヤン、ミュンシュ、バーンスタインなどとは対極にあるのが、ケーゲルだったのでしょう。こんな人が、皮肉をこめて自らヘルベルト・フォン・ケーゲルと称していたのに、自殺してしまったのは、本当に惜しいことですが、自ら命を絶つほどのものを持って生きたことは、素晴らしいことだったのでしょう。
オーケストラというのは凄いものです。指揮者の意識していないかもしれない心理状態までを数十人もの人間が、ありありと示してしまうのですから。クレンペラーの「ライン」などもそんな例です、というのはさておき、ケーゲル&ドレスデン・フィルの演奏は、感情の高揚感に欠けているのが唯一の、そしておそらく多くの幻想が好きな人たちの反発を食いそうな欠点ですが、それを除けば、じつに見事です。ビゼーの「アルルの女」でも、ライト・クラシックの代表格になってしまったあの曲を、あの曲の演奏の伝統的行き方から離脱して、原譜に忠実に演奏し、元の台本通りの悲劇(通俗的ではあれ)に引き戻したのは、さすがで、あれを聴くと、他の指揮者のものは、なんだと思うくらいなのですが、この「幻想」もいささかそれに似ます。クレンペラーが楽譜に忠実な演奏をしていましたが、あのほうがまだ高揚感はある、と同時に、ケーゲルに比べるとツッコミが浅くないかと思えてきます。
とりわけ白眉はフィナーレです。楽譜を見ると、鐘の音は、鐘もしくはピアノを用いよ、とのことで、音の高さは、ピアノの中央のドとその1オクターブおよび2オクターヴ下のドを重ねた音、つまり、低い響きが要求されているのです。これ以上はここで言うべきではないでしょう。どうぞご堪能ください。なお、モントゥーとサンフランシスコ、およびガーディナーとレヴォリューショネール・エ・ロマンティックの演奏も低い、ピッチの定まらない鐘を使っていました。近代の演奏会場用のチュブラーベルを使った演奏はもう聴けませんね。
私はこれを某評論家のように「死体的」とも「猟奇的」とも思いませんが、「幻想の大きな特色はクラシック音楽史上初めてグロテスクなものを表現したことだ」という趣旨の、ある音楽学者が某社出版の幻想のスコアの解説につけた評言は正しいと思うし、それを何より見事に示したのが、このケーゲル&ドレスデン・フィルの演奏だと思っています。
カラヤン、ミュンシュ、バーンスタインなどとは対極にあるのが、ケーゲルだったのでしょう。こんな人が、皮肉をこめて自らヘルベルト・フォン・ケーゲルと称していたのに、自殺してしまったのは、本当に惜しいことですが、自ら命を絶つほどのものを持って生きたことは、素晴らしいことだったのでしょう。
2015年11月14日に日本でレビュー済み
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ベルリオーズはフランスの作曲家だが、生前はむしろドイツなど外国から認められた人である。現在は「名曲」の枠に収まり、毒にも薬にもならない演奏ばかりで不満である。この演奏、オケの技術がイマイチなのが欠点であるが、ベルリオーズの音楽が持つ「革新性」を浮き彫りにする。「名曲」に異なった視点をもたらすのは、チェリビタッケの得意技だったが、ケーゲルの演奏もそうである。モダンだのピリオドだの拘る前に、こんな演奏が出来る人が居ないのは、現在の大きな不幸だと思う。
2016年9月6日に日本でレビュー済み
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遅いテンポ設定でこの曲のグロテスクさを強調しようとした意図は分からなくもないが、正直そこまで魅了されなかった。最近の演奏と比べるとオケの洗練度が不足しており、下手ではないが、なんとなく響きに魅力が乏しく、ゆっくりした運びが逆にオケの平凡さを助長する結果となり、緊張感を欠き、表情も変化がなく単調で、聴いていて飽きてしまうのである。元々自分はこの曲と相性が悪く、「怪演」と評されるこのディスクに期待したのだが、やっぱりダメだった。確かに他の演奏とは性質を異にするアプローチであり、人によっては「これぞ幻想!」と絶賛する人もいるかもしれないが、自分にはフィナーレの鐘はまるで除夜の鐘のように聴こえ、その後の展開は新年の宴となってしまった。乾杯。
2010年7月19日に日本でレビュー済み
ベルリオーズの素晴らしさは、私の好きなブーレーズも近代フランス音楽の革命児である!と言っているのを耳にしました。勿論、ブーレーズの指揮による幻想交響曲や対をなす「レリオ」も聴いてみたのですが、どうもイマイチ、ピンと来なかったのです。しかし、この録音を聴いて、第1楽章の主旋律と対旋律の綾、第2楽章のワルツなどの美しさを肌で感じる事ができました。有り難いですね。しかし、ケーゲルが1990年にピストル自殺してしまったのは、これらの録音を聴くたびに、残念な事であると思います。
ベルリオーズ嫌いの人は、これを聴いてみて下さい。
ベルリオーズ嫌いの人は、これを聴いてみて下さい。
2011年10月31日に日本でレビュー済み
残念ながら、これはエイベックスCCCDの駄盤であります
エイベックスがクラッシック音楽CDまでCCCDとして音質を低下させた盤
昨今であれば虚構遺産としての価値があるかもわかりません
ケーゲルの名演奏を聴ききたいのであれば他の盤を選んだ方が安心できます
このCDが発売された後、1984年録音盤が他のレーベルにてリマスターされ発売されました
エイベックスがクラッシック音楽CDまでCCCDとして音質を低下させた盤
昨今であれば虚構遺産としての価値があるかもわかりません
ケーゲルの名演奏を聴ききたいのであれば他の盤を選んだ方が安心できます
このCDが発売された後、1984年録音盤が他のレーベルにてリマスターされ発売されました