わたしは40歳、3児の母です。バイオリンを習ったことがありますが、バレエは踊れません。娘がバレエを習っています。
第一部:二台のピアノ版
振付師ショルツ氏が長い間あたためていたアイデアを、亡くなる直前に実現させた作品。ショルツ氏自身の人生の苦悩が強く反映されている。運動能力も音楽性も育めると考えた母親の教育方針によりバレエをはじめた彼は、若いうちから才能を発揮して、神童ともてはやされた。天賦の才能を持つことと、その個人の人生が幸福なものであるということは必ずしも一致しないのだろう。男性のダンサー一人の踊り、二台のピアノの演奏、そして舞台背景に映し出される映像の組み合わせで表現されるバレエは、挫折と苦悩に満ちている。もしもピアノ演奏が下手だったら、ここまで怖くはないだろう。ドキュメンタリーからの推察でしかないが、おそらくショルツ氏もピアノを弾いたのだろう。自己表現の手段として備えていたのは振り付けの能力、でもその魂は音楽家だったのではないかと思った。
受験、就職、仕事、恋愛、結婚、育児、介護、病気、事故、災害、その他、苦しい思いをしている人、したことのある人におすすめ。他の人にも苦悩のあることが実感され、孤独が癒される「かも」しれない。
第二部:オーケストラ版
一個人に焦点のあてられたピアノ版とは違って、集団で生きる動物としての人類がテーマ(とわたしは思う)。身を横たえたダンサーが舞台に大きく四角形を形成したところからはじまる。ファゴットが奏でるアンニュイな感じのメロディーにあわせて、ダンサーが一人また一人と、腕を上げては下げるという動作を隣へ受け継いでいく。波のようなこのおとなしい動きは、春に植物が芽吹く様を連想させる。この後に続く激しい表現とは対照的に、静謐な美しさが印象的。ダンサーが立ち上がって8列に整列した後からは、心臓の鼓動が激しくなったような不安感をそそるリズム、恐怖感をあおる不協和音などで、わたしたちの中の動物的本能に近い部分を刺激する。男女がペアになって大開脚で組み合ったり、向かい合って腰を付き合わせるような動作はエロティックで、動物的。それでいて生命への賛歌のような、なにか神聖なものを見るようにも感じる。一人の女が生贄として選定されると、彼女は、逃れようのない運命に恐怖を味わい、他者に助けを求め、気が狂いそうになりながらも自分を保とうとする。舞台の中心にいるのはこの生贄でも、本当の主役は、彼女を見捨て、冷酷な視線をむけて、ただ周りを囲む村民なのかもしれない。
ニジンスキーの振り付けの版は、新しくマリンスキー・シアターのものが発売されているので、比較するのもおもしろいかもしれない。重心を高くキープする、いわゆるクラシカルなバレエと違って、地面に近い踊りを目指している。いくつかの部族が登場し、髪の色、衣装などがそれぞれにユニークなのが、広大なユーラシア大陸らしさを感じさせる。地面に近い、農耕民族らしい動きならば日本人も得意なのだから、能楽師など、日本の伝統芸能の踊り手に、ニジンスキーの『春の祭典』を踊っていただけたら、かなりいい作品になるのではないだろうか。