プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
リスト:交響詩「前奏曲」、ハンガリー狂詩曲第2番、第4番&第5番、メフィスト・ワルツ第1番
詳細はこちら
よく一緒に購入されている商品

この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
曲目リスト
1 | 交響詩≪前奏曲≫ S.97 ラマルティーヌによる |
2 | ハンガリー狂詩曲 第2番 S.359の4 |
3 | ハンガリー狂詩曲 第4番 S.359の2 |
4 | ハンガリー狂詩曲 第5番 S.359の5 |
5 | メフィスト・ワルツ 第1番 S.110の2 ≪レーナウの『ファウスト』による2つのエピソード≫から 第2曲:村の居酒屋での踊り |
商品の説明
内容紹介
【ドイツ・グラモフォン ザ・ベスト1200 VOL.1】
交響詩の創始者として標題音楽の発展に重要な足跡を残した作曲家、リストの管弦楽作品集です。詩人ラマルティーヌの「人生を死への一連の前奏曲とみなす」という序文が付された《前奏曲》、ハンガリーの民族舞曲に基づく《ハンガリー狂詩曲》の管弦楽編曲版3曲と《メフィスト・ワルツ》を収録。広く親しまれた名曲を最高の演奏でレコード化することに情熱を傾け続けたカラヤンの姿勢は、このアルバムにも端的に示されています。
リスト:
1. 交響詩『前奏曲』 S.97
2. ハンガリー狂詩曲第2番ニ短調 S.359-4
3. ハンガリー狂詩曲第4番ニ短調 S.359-2
4. ハンガリー狂詩曲第5番ホ短調 S.359-5
5. メフィスト・ワルツ第1番 S.110-2
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
録音時期:1960年12月(4)、1961年2月(3)、1967年4月(1,2)、1971年9月(5)
録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会
録音方式:ステレオ(セッション)
高精度ルビジウム・クロック・カッティング
曲目
01. 交響詩≪前奏曲≫ S.97 ラマルティーヌによる
02. ハンガリー狂詩曲 第2番 S.359の4
03. ハンガリー狂詩曲 第4番 S.359の2
04. ハンガリー狂詩曲 第5番 S.359の5
05. メフィスト・ワルツ 第1番 S.110の2 ≪レーナウの『ファウスト』による2つのエピソード≫から 第2曲:村の居酒屋での踊り
レビュー
カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による、交響詩の創始者として標題音楽の発展に重要な足跡を残した作曲家、リストの管弦楽作品集。詩人ラマルティーヌの「人生を死への一連の前奏曲とみなす」という序文が付された《前奏曲》、ハンガリーの民族舞曲に基づく《ハンガリー狂詩曲》の管弦楽編曲版、他を収録。 (C)RS
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
クラシック・ファンなら誰もが知るレパートリーを演奏すれば、恐らく右に出るものはいないであろう!
ご多聞に洩れずこのCDもベルリン・フィルが熱演・・・
特にハンガリー狂詩曲第2番だけであれば星5つ!
録音は60~70年であるが、当時の重厚なベルリン・フィル・サウンドが堪能出来ます・・・
ことクラシック初心者にはお薦め!!
私が所有している2枚組に収録されている「タッソー、嘆きと勝利」「マゼッパ」若き日のチェルカスキーのピアノ独奏を組み合わせた「ハンガリー幻想曲」も魅力的なのでこれらも聴いてもらいたいです。
なんでも、フランスの詩人 ラマルティーヌ の「詩的瞑想」の「人生は死への前奏曲である」という一節に触発されて作られた曲だそうである。
その楽譜の序文には「人生には死から響いてくる一番厳粛な音がある」と書かれていたとのこと。
これは、以前ある知人から聞いた話。私などにはあずかり知らなかったリストのエピソードだ。
リスト の作品には「死」を思わせる作品が多い。
彼は、その人生の折々に、いつも「死」と「その後」とを見つめつづけていた作曲家だったように思う。
―― クラシック にはさほど関心が向かないのだが、かの「ハンガリー狂詩曲」などを聴くと、
その曲調に狂おしいほどの「グルーヴ」を感じてしまうのは、
やはり、そのパッションの根底に、いわゆる「メメント・モリ(死を想え)」があったからなのだろう。
「死」の側から逆照射される「生」―― だからこそ、人生は一瞬の花火のように輝いて見えるのかも知れない。
そして「死」をもって、ある意味、絶対的な自由の境地にいたるのだと、私は信じたい。。。
そこで、取り上げられるべきは ――
「死」ではなく「死にゆくこと」ではなかろうか。
わたしたち、ひとりひとりが、「今」「ここ」を生きながら、同時に、実は「死につつある」ということ。
そして、ライフイベントの折々の 「臨界点」 のような体験を経て ――
―― いわゆる「死に至る病」に患わされ、「死」なり「死にゆくこと」なりを強烈に意識し、それぞれさまざまに苦悶することになるのであろう。
その原点を見つめること ――。
その意味の重さを、私は、キューブラー=ロスやラム・ダスらの著作や、
身近な人たちや飼っていたペットたちの「死」に直接、間接に触れることで、多くを学ばせてもらった。
「死ぬのは恐い」―― これはやはり、「本能的反射」のようなものなのかもしれない。
しかし、裏返して考えてみれば、「死」、そして、「死にゆくこと」 ――。
―― それは、生まれてから死ぬまでの「ライフサイクル」においては、「魂」の成長を促す大きな「イベント」なのだと実感している。
それどころか、キューブラー=ロスをはじめ、多くの「先達者」が述べてきたように、
「死」 とは、「大いなるサイクル(輪廻)」のひとつの「結節点 」なのかもしれない ―― とさえ感じている。
「死」 は、もしかすると、「恐怖」などではなく「歓喜」の一瞬たり得るのだろうとさえ思う ―― どんな場合でも。
精一杯生きて、「死にたくない」と言いながら死んで行くのも、「先に逝くよ」と淡々と旅立っていくのも人それぞれ。
「死」は恐怖でありながら、甘美な響きを感受できるような気にもなる。。。
いずれにしても、「精一杯生きる」ことが「精一杯死ぬ」ことにつながるのだろうな・・・とも思うのである。
―― 「きれいごと」 かもしれないが。。。それこそ、人それぞれだから。。。
他の国からのトップレビュー
