Anton Bruckner (1824-1896)
Sinfonie Nr. 3 in d-Moll (Urfassung 1873) WAB 103
Philharmoniker Hamburg
Simone Young
2006年ライブ録音
2007年発売
以下の引用、創作もあるかも知れませんが:
この《第3交響曲》は、《ワーグナー交響曲》と呼ばれることが多い。これはもちろん、この曲がワーグナーに献呈されたからである。そして、この曲がワーグナーを喜ばせたことには、いろいろの理由があげられよう。
まず、第1楽章の冒頭のトランペットの動機(譜例1)がいかにもワーグナー好みであり、ワーグナーを大いに喜ばせたという。ワーグナー家では、まもなく、ブルックナーに「トランペットのブルックナー」というあだ名さえつけるようになったとのことである。(
作曲家別名曲解説ライブラリー5「ブルックナー」
53ページより)
第1楽章の冒頭のトランペットの主題は、ワーグナーにはたいへん気に入られたものだったが、当時の交響曲では、主題旋律を奏するときにトランペットが使われるのは、大体においてクライマックスの場合にかぎられていて、曲の最初で、しかも弱音で奏するというのは、きわめて珍しいことだったのである。(
作曲家別名曲解説ライブラリー5「ブルックナー」
55ページより)
ワーグナーはバイロイト祝祭劇場建設のプロジェクトに忙しく、献呈に興味を示さずほとんど門前払いの形でブルックナーを帰らせたが、後で楽譜を見て感動し、劇場建築現場にたたずんでいたブルックナーを連れ戻して抱きしめ、「私はベートーヴェンに到達する者をただ一人知っている。ブルックナー君だよ。」と称賛した。(ウィキペディア、交響曲第3番 (ブルックナー)より)
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ワーグナーは、バイロイトで祝祭劇場の建設にあたりながら、《ニーベルングの指輪》の完成を急いでいて、多忙だったが、ブルックナーの2曲の楽譜を子細に検討した結果、まだ第4楽章がスケッチのままの《第3交響曲》の草稿にに大きな興味を示したのだった。そして、ブルックナーのこの曲の献呈を受諾することにし、その後終生、この交響曲の総譜を読むのを楽しみにしていたという。(
作曲家別名曲解説ライブラリー5「ブルックナー」
52ページより)
↑それは、当然でしょう。なぜなら、3番の派手さが、(派手なものを好む)ワーグナーには受けただろうから・・・。もとより、ワーグナーの作品の引用があるし・・・。(KM)
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3つのブルックナー:交響曲第3番(初稿版)
ティントナー盤(
Complete Symphonies
)
ケント・ナガノ盤(
SYMPHONY NO.3
)
シモーネ・ヤング盤
を、比較する。
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例によって、演奏時間比較(ティントナー、ナガノ、ヤング)
ブルックナー:交響曲第3番(初稿版)
第1楽章 30:39 26:33 25:26
第2楽章 20:41 17:01 19:20
第3楽章 6:50 6:28 6:40
第4楽章 19:22 18:37 17:09
合計 77:34 68:39 68:38
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ティントナー盤は、悪い演奏ではないと思うのだけど、やっぱり長過ぎ&やりすぎ。
ナガノ盤は、主題、動機、旋律がよく聞こえる。演奏は明晰。アンサンブルもまあまあ。しかし、ナガノの演奏は退屈する。彼の演奏は、激しさもあるが、ブルックナー:第3番(初稿版)が持つ「恍惚」「熱狂」「狂乱(!)」が足りないのかも知れない(?)。
ヤングの「ブルックナー:交響曲第3番」の演奏は、ナガノとは逆に、主題、動機、旋律が聞こえにくい。しかし、ヤング盤は、ティントナー盤、および、ナガノ盤より悪くないと思う。私の主観では、ヤングの指揮は「不安定感(←彼女の欠点)」、彼女の「ある意味大胆な休止(←これは彼女の欠点ではない)」などが、初稿版の「荒々しさ」「斬新さ」「複雑さ」「危うさ」を、さらけ出し、それらが、むしろ「力」と「巨匠性」を感じさせるのが良い。←ただし、リスナーの主観・嗜好に依存する。←欲を言えば、彼女の実力をもってすれば、第2楽章を、もっと美しく演奏できたはずだし、第4楽章をもっと重厚に、しかも、スリル満点に演奏できたはず・・・と思うリスナーもあるかも知れない。
追伸1)「彼女の欠点」が良いと言う私は、ヤングをひいきしている・・・要するに、私の、彼女への良い評価は、私の嗜好の問題です。
追伸2)「ブルックナー:交響曲第3番」における「ワーグナーの引用」は、私には、よく聞こえなった。