モーツアルトのアレンジであるメサイアはヘンデルのオリジナルよりも遥かに録音の数が少ない。このCDはイギリスのマッケラス・ハダ−ズフィ−ルドコーラルソサエティ・ロイヤルフィルによる演奏で、管弦楽のアレンジがモーツァルト編曲バージョン、歌詞は英語で歌われている。1988年に録音され、指揮者、モーツァルトの熱心な研究家であるマッケラスにとって2枚目のモーツアルト編曲メサイア、しかし英国のメンバーによる英語での演奏の録音は初めてである。後2009年には Andrew Parrot が英語でのモーツアルト編曲版メサイアのCDをリリースした。
もちろん、この演奏についての論点はモーツァルトの編曲バージョンは如何なるものなのか、ということだ。そしてドイツ語ではなく英語での演奏とは面白い試みであることは言うまでも無い。
まず最初の印象はというと、オーケストラの存在が大きく感じる演奏になっている。それは金管、木管の増幅のためであるが、そして、それが英語の独特の柔らかい発音には少し合っていないのではないかと、すなわち英語でアリアを歌うソリストたちは発音を過度にアクセント付けることを強いられているように感じる。そして、モーツアルトによって書き加えられた強弱やテンポ記号により、幾分コントロールされて演奏が進んでいくことが分かる。
もう一つ、このCDの演奏を説明する上で非常に大切だと思うことが、この演奏の他のメインストリームとの違いは、モーツァルトの編曲として感じたのではなく、むしろマッケラスの解釈により完成した演奏だという印象を大きく受けたということだ。つまり、モーツアルトの編集による楽譜と楽器を利用し演奏しているのだが、それを違う演奏者なら異なるなスタイルで演奏する可能性は大いにあるだろう、ということだ。例えば、ロイヤルフィルではなく、モーツアルト時代の古楽器を用いたらどう演奏法が変わるか、と思った。それの一つの例がAndrew Parrot の2009年のCDによって見解することは出来るだろう。しかし、Parrot にも彼自身の個性、独特な研究結果があるだろう。そういうことを考えると、今日の一作品に対しての解釈、そしてその演奏をするにおいての問題が浮き上がってくる。
単にモーツアルト編曲とヘンデルのオリジナルバージョンを比べるのであれば、マッケラスとEnglish Chamber Orchestra を比べれば良いのだろうか? しかしこれは1966年のヴァイナルなので時代がかなり違う。しかも入手がかなり困難であり、しかもドイツ語バージョンである。ドイツ語バージョンであればマッケラスの3枚めのメサイア録音、Symphonieorchester des 'sterreichischen Rundfunks との演奏で非常に完成度の高い、癖の少ない、他の近代の古楽器演奏と比べることが可能なディスクになっている。
このCDの録音は、よってかなり特殊な環境に置かれた、非常に独立した演奏であるということだ。これがモーツァルト編集版だとして聴くのではなく、一つの個性的な演奏と受け取るのが良いでしょう。しかし、バージョンの問題を抜きにすれば、この演奏はとても良い方向性を持った、素晴らしいモダン演奏である。