アンデルジェフスキ(Piotr Anderszewski 1969-)の弾き振りによるモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)のピアノ協奏曲集。以下の2曲を収録。
1) ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503
2) ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595
オーケストラはヨーロッパ室内管弦楽団で、2017年の録音。
アンデルジェフスキは、これまでも弾き振りで、モーツァルトの協奏曲を録音してきたが、その際は、第17番と第20番、第21番と第24番といった具合に、かなり対照的な性格の2作品を組み合わせてきた。果たして、今回も第25番と第27番という性格の異なる2曲となった。
第25番は、壮大な主題により、大きな気風を感じる重厚な作品、対するに第27番は、軽妙な味わいの中に、細やかな陰りのほどこされた細やかな作品である。アンデルジェフスキ自身も、その「対照性」をことに意識しているとコメントしている。
アンデルジェフスキのモーツァルトは、いつも細やかな機微に即した表情づけに工夫を凝らしたものであるが、私は最近彼が録音したピアノ・ソナタ第14番を聴いて、その表現力がさらに深みを増し、一層深い情感を獲得した感を持ったのだが、果たして、この協奏曲もそれに違わない内容となった。
特に見事なのが第27番。この演奏を聴いていると、この曲はアンデルジェフスキのようなピアニストにもっともふさわしい作品に違いない、とまで思われてくる。細やかなタッチで描かれる情感、それがほほ笑むようで、時に陰るようで、そのひそやかな交換の合間に、ふと驚くほど深く、時に恐ろしいような瞬間が待ち受ける。美しいようでいて儚い。第2楽章の弦、フルートとのやりとりのきれいなこと。おもわずため息が出る。
人は、モーツァルトが亡くなる年に、この協奏曲を書いたエピソードから、そこにどこか厭世的な美しさを感じることがある。それは、後でエピソードをなぞった私たちがかってに取り付けた思いかもしれないが、この演奏を聴いていると、どこか、去り行く美しさのような情緒が感じられるから不思議である。
一方の第25番。こちらももちろん悪くない。ほどよいレガートで、フレーズの規模にふさわしい歌が紡がれるだけでなく、管弦楽の音色も従前にコントロールされており、和音の響きもよく計算されている。第1楽章で印象的な4連音も、様々にニュアンスを変えながら提示されていく。また、この楽章のカデンツァは、アンデルジェフスキ自作のものが披露されているが、豊かな質感と色彩感を持った弾力的なもの。自然で、流れの良いものとなっている。
現代楽器ならではの自由度を存分に使った美しいモーツァルトを堪能できる1枚になっています。