この演奏は、本当に美しいものや純粋無垢なものに対しての憧れというものが、人間感情に存在する限り、永遠の価値を有するものになるのでは。。。と思う
それ程に精粋で澄み切っており、フォーレの本当に目指したものが、ヘレヴェッへの感性のフィルターを通して具現化されたものであるように感じる
元になった版は第2稿(1893年版)の、ネクトゥー&ドゥラージュ版である
もとより、フォーレの関与しているのは第2稿までなので、作曲者の意図が如実に生かされているのは当然だとしても、もっと大切なのは、この小編成を生かし切った演奏内容である
へレヴェッへは2001年に、第3稿フルオーケストラ版で再録音しているが、ガット弦を張ったピリオド楽器を使用している
この旧録音は現代楽器のアンサンブルなので、そう言った意味でも演奏内容に寄るところが大きい
他の方のレビューの中で、不自然なスローテンポという評があったが、基準としてクリュイタンスのものを上げれば、ヘレヴェッへの方が総体的な演奏時間は1分40秒程も短い
長い楽章は『Pie Jesu』と『In Paradisum』のみで、In Paradisumは8秒程であるが、Pie Jusuの方に限っては1分10秒程も長い
なぜならば、この演奏の要を担っているからだと思う
この演奏で殊更耳に残るのは『Pie Jesu』を歌うAgn's Mellon(アグネス メロン)の歌唱である
きちんと確認するまでは、だれもがこの歌声は、少年によるものだと思うのではなかろうか。。。
自分は未だかつて、こんなにも清純で澄み切った独唱を聴いたことがない
本来ヴィブラートをかけない宗教音楽の合唱だが、独唱に関してはかける歌手が非常に多い
それを嫌う評も多いが、彼女の歌唱法は宗教音楽に根ざして非常に高度であり、どこまでも真っ直ぐに伸ばす事を基本としながらも、声を拡張させる部分だけ必然的にかけている
モーツァルトが『神の欲するところだけに使うべき』と書き記したらしいが、それを実現したものだと思う
ヘレヴェッヘが、この楽章にここまでの時間をかけたことが、必然的に理解できるのである
人間の若い時期には、総じて中性的な処女性を有するものである
純粋無垢で汚れなきものに対する憧れが、老若男女に分け隔てなく存在するとすれば、一聴しただけで恋に陥ってしまいそうな、非常に罪深い『Pie Jesu』である
そして、そのアプローチは全編に渡って透徹されたコンセプトになっているのである
まさに、フォーレの目指したものがこれであるとすれば、そこまでの具現化が成された演奏は、自分が聴いた中ではこれが初めてである
ヘレヴェッへの演奏は快挙と言わざるを得ない
1つ1つのフレーズを、慈しむように意味を持たせていく、その掲示性の深さは類をみないものがある
少々民族的で明るい雰囲気を持つ、カップリングのメサジェ補筆の『小ミサ曲』。。。
詳細は省くが、この盤の魅力の相当数のパーセンテージをグンと上げているもので、合わせてこれを聴けるだけでも本当に得をした気になる
そして、もう1つ、この盤に特徴的なのは、ジェケットの美しさである
この、うつむき加減で頭を垂れる抽象的な2つの像のアレンジによる、黒を基調とした簡潔なデザインは非常に印象深く、1度見たら忘れない。。。
演奏内容と相俟って、この盤は本当に価値観の高いものになっている
UHQ-CD(Ultimate High Quality CD盤)