実は、この組み合わせの演奏は、Importの全集で購入した。。。
かと言って交響曲を一纏めにレビューするのはあまり好まないので、丁度全集でもカップリングだった第2番と第5番がこちらに分売されていたので、アルバム1枚単位で聴きながら、ここにレビューしたいと思う
リマスター云々はされていないので、音源自体は一緒である
自分は、ベートーヴェンの第2番はブリュッヘン18世紀オーケストラの演奏を聴いてから、大ファンなのである
すなわち、オリジナル(古)楽器演奏である
第5番も、指揮者の素性が1番判りやすい曲なので、全く先入観を持たないで、ライナーに目を通すこともなく、先ずこの2曲を聴いてみた
評者によって好き嫌いがハッキリしているサイモン・ラトルのことだから、どんなに個性的で灰汁の強いアプローチなのだろうと思い、最初音量を絞っておそるおそる聴いたのである。。。
その第1印象は、音場感に奥行きがあって、なんて柔らかい響きだろう。。ということである
ライヴということは知っていたので、観客が緩衝の役目を担って響きが和らいでいるのなら、功を奏している。。。
もう1つは、弦の数を間引いているか、抑えているかのどちらかだと感じた
弦と管、ブラスのバランスが、他の指揮者の音より均整が取れて聴こえるのである
要するに、弦にメロディーを負わせ過ぎないことにより、色々な楽器の音色を際立たせることに成功しているのである
これは、響きの簡潔な古楽器のアプローチに近付いている
しかし、それをウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で実現させるのだから、その音楽がどれ程のレベルで奏でられるのかは、聴き始めて数分で鳥肌が立ったことでも証明されている
ベートーヴェンは、最初からこう言う音で演奏されることを意図していたのかもしれない
1つの音階で繰り返し奏されるパートを、わざわざ一音ずつ楽器を替えることまで指定しているのが、この演奏を聴いているとハッキリ判る
こう言った経験は、ベートーヴェンを聴いて初めてである
というよりも、余りにも『こう言う曲だ』という固定概念で聴き過ぎて来たのかもしれないし、逆に言えば、そういう観念的な演奏を、割とざっと聴き流して来たのかもしれない
ラトルは、自分の主義主張というよりも、音楽(音譜)の持つ根源的な意味と意図を、きちんと浮き彫りにしたいと思う人なのではないだろうか。。。
音を1つずつ丹念に抽出し、ニュアンスを大切にして音楽的な表情と愉悦感を確りと打ち出している
そして自分が1番の魅力を感じたポイントは、『ウィーン・フィルが古楽器に持ち替えたような』音である
古楽の、あのメリハリ、簡潔さと根源的な凄みというようなものを、ここまで体現するとは。。。
実は、オリジナル楽器は渋味があって良いのだが、聴く人によっては単純に音が良くない。。現代楽器に比較すると、響きが今一つなのは暗黙の了解で、それを指揮者の解釈と録音の問題で解決を図って来ている
アプローチはそのままで、ここまで現代楽器の名門オーケストラに譲歩、共感させたラトルの大手柄という他はない
そう言った名技性と、各楽器が透けて見えるようなディテールの繊細さをとことん追求した場合、このラトルの無理難題に確りと応え得るウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は流石であり、逆に言えばこのレベルでないと中途半端になりかねない
この楽団の実力とプライドを改めて見せつけられて、爽快な気分になった
あの第5番でさえも、激しさの中にこんなにも繊細な音、静謐と憧憬、穏やかで豊かな表情が息づいているのだということを、この楽団と指揮者は、しっかりと証明してみせている
どんな強奏でもあくまで柔らかく、煩くなることはないし、残響はどこまでも透明である
ライヴ録音にしては、観客の咳払いは勿論のこと、その気配さえ感じない程なので、ムジークフェラインザールの観客付きスタジオ録音。。という佇まいだろうか。。。
宜しければ、アマゾンが在庫切れで海外注文ですが、Import盤の全集が現在お求めやすいです↓
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(2017年11月現在、アマゾンさんにかなりの数の入荷がありますね^^)