個人的にはピアニストの中でグルダが一番好きだと言える私ですが、この有名なウィーンフィルとの録音に今までコメントしなかったのは、管弦楽団の響きに違和感があったからです。妙に高音域が強調されて、しかも残響が尾を曳くように残っているので、各楽節の切れが悪く感じたのでした。
しかし改めて聴いてみると、特に第25番第1楽章でのこの残響を活かすような音作りによって、ピアノの細かい表現力が浮き彫りになっています。非常に慎重な音の運びですが、美しいだけでなく、弦の響きがやや締まりがない割には充分構築的だとは言えます。ただ全体としてはグルダ独奏から期待される躍動感には乏しいと思います。
第27番の演奏では、管弦楽団に対する私の不満はおさまります。もっと緻密なアンサンブルを望みたいものの繊細さは充分保たれて、モーツァルト晩年特有の音調である、迫る闇の前の黄金の夕映えのような光輝はやさしさをこめて再現されています。
そしてここでもグルダのピアノが音楽の芯を的確におさえていて、決して飛び跳ねたりすることなく、感傷に流されることもなく、細かいところで光と影の彩をつけています。
この一枚は、やはりこの顔ぶれに恥じない名演だと結論づけられます。その中でグルダは、自分の表現だけが上滑りしないように、協調と調和の意識をもって音楽に向かっていると思います。ここにあるのは深刻癖と自己顕示からはほど遠い、しかも人間的な献身と集中です。